3月11日です。
と書いてそこから全然ずっと指が動かなかったのですが・・。
震災後私はよく宮沢賢治を読みました。岩手を愛して、生涯を貧しい農村の人々の生活の向上へと情熱を捧げた賢治。
辛いときに「雨ニモ負ケズ」を反芻することもあります。
子どものころ賢治の作品「グスコーブドリの伝記」を映画で見ました。そして漫画がうちにあったので何度も何度も読みました。
私の子どものころの心象世界に大きな影響があったなあと思います。
あらすじはこんな感じです。
グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らすきこりの息子として生まれた。冷害による飢饉で両親を失い、妹と生き別れ、火山噴火の影響による職場の閉鎖などといった苦難を経験するが、農業に携わったのち、クーボー大博士に出会い学問の道に入る。課程の修了後、彼はペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。前後して、無事成長し牧場に嫁いでいた妹との再会も果たすのであった。
ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行に際して誰か一人は噴火から逃げることができなかった。犠牲を覚悟したブドリは、彼の才能を高く評価するが故に止めようとするクーボー博士やペンネン老技師を冷静に説得し、最後の一人として火山に残った。ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われたのだった。(wikipediaより)
すごく悲惨な子供時代を送ったブドリですが、厳しい自然環境で飢饉が続き苦しい生活をする人々の為科学者になるのです。最後は皆を救うため、一人山に残り27歳の若さで命を失います。この、「脱出するために誰かが一人ドアの外に残ってボタンを押さなきゃならない、他の全員が助かるために誰か一人が犠牲にならないといけない」みたいなシーンがよく漫画でありますが、私はこのシーンを何度も何度も読んでブドリの悲し過ぎる人生に思いを馳せていました。そして幼心に、恵みをもたらすこともあれば、牙をむいて人間の生活を一瞬で破壊することもある自然への畏怖を刻み込んでいたのだと思います。でもそういうことが起きても何でも、また立ち上がって生きていくんだなあと思っていたのだと思います。
↓震災後私が繰り返し読んだ本です。
タイトルにもなった「かなしみはちからに」はこう続きます。
かなしみはちからに、
欲(ほ)りはいつくしみに、
いかりは智慧にみちびかるべし
もう1か所
何がしあわせかわからないです。
本当にどんなに辛いことでも、
それが正しい道を進む中の出来事なら
峠の上りも下りもみんな
本当の幸せに近づく一足づつですから。
かなしみはちからとなり
欲を慈しみに変えて
怒りを知恵に導いていく
ブドリは本当にそのように生きました。本人の努力や行いとは一切かかわりのない、抗えない大きな運命に翻弄されて、その中でやりきれないような思いをちからに変えて。今日久しぶりにこの言葉を読んで私もこんな風に生きたいと改めて思いました。皆さまそれぞれの3月11日を思い思いに過ごされていることと思います。
今日も1日本当にお疲れさまです。
又来週お会いできるのを楽しみしています。良い週末をお過ごしください。