一つ前の更新でも触れましたがしばらく浮世離れしていたブライアン〈坊主頭が大好評の37歳。若返ったともっぱらのウワサ)が帰宅後、貪るようにフォローしたのはアメリカ大統領選の行方です。私はブライアンが不在だとほとんどアメリカのニュースに触れることがないので久々にブライアンの独断と偏見に満ち満ちたニュース解説を聞きました。
あー話がながい。←懐かしいこの感覚。話がとても長かったので途中から何となくブライアンの話に耳を傾けながらなんか色々考え始めてしまいました。
共和党候補者指名争いに名乗りを上げている不動産王のドナルド・トランプ氏は繰り返す暴言とそれを支持する一定の人々の存在がクローズアップされ、日本でも報道されていたのでご存知の方も多いと思います。
彼について読んだり聞いたりする度に「狂気だ」と私は思ってしまいます。そして切り捨てる側を省みない独断的なリーダーシップを求める社会不安に胸が詰まります。みんな不安なのはよくわかるけどこんなことじゃどんどん銃乱射の犠牲者が増えていくだけだよ?と外から見ていると思うのですが実際住んでるとわからないのでしょうか。
支持者たちにしてみれば、普段は影を潜めている、できれば公にしたくない気持ちが自分たちの立場が危うくなるともう猫をかぶってはいられない、主張せずにはいられない、彼は自分たちの代弁者だ、という感じなのでしょうか?
世界がというか人類が選択する未来の方向が、「排斥と憎しみの連鎖の増長」だとしたらあまりにも悲しすぎると思うのは私が27歳にしてあ、間違えた37歳だった(削除して書き直せばよいのに?と呟きましたか?聞こえましたよ。)幼稚な精神の持ち主だからでしょうか?夢見る乙女だからなのでしょうか??(←図々しいにも程がある)
外が危なかったら家に鍵をかけるのは常識かもしれません。でもだからってその家の中で、選ばれただけの人々が住みやすい環境を作ることが政治なのでしょうか?(こんなこと言ってる自分に仰天。)私は最近(←著しく疑問が残る表現)感情的です。なんというか激情が渦巻いています。色々なことが起こってたくさんの人にやさしくされて、以前より更に助け合わないと生きていけないという気持ちになっています。
民族も宗教も国籍も人種も出自も性による差別もあることを認めて、違いを恐れていることを認めて、その上で共に暮らす社会をアメリカが目指していかずにどこの国が目指すのでしょうか。差別、あるあるめっちゃある!だってあの知らない人たち怖いもん。何考えてるかわかんないもん。結界はろう!ってしてどうやってうまくいくのか。「恐れ」を煽って一体どんなことが前に進むのでしょうか。頭痛がするほどテクノロジーが進化しているのに!「科学技術」と共に「人間力」も進化しないでどうするのでしょう。わかりあえなくたって、相容れなくたって差別がめっちゃあったって諦めないで探るべき方向があるはず。有史以来ずっと人は争いを続けてきたけれど「憎しみあう」ことがあるということを前提でそれでも共にどうやって暮らしていけるのか模索していこうとする、合衆国の大統領が発揮するのは、そういうリーダーシップであって欲しいと私は強く思っています。道は果てしなく険しいことはわかりきっているけれど、今道ができなくても絡み合う蔦を払って見通しをよくすることはできるかもしれない。そしたら子の代が砂利を敷いてくれるかもしれない。未来に希望を見出せない、思いを馳せることのできないことなんて決めちゃいけないんだよ!
とブライアンと話しながら私は思っていました。どうしたんだアタシ!やばい。
そしたらブライアンがレコードをかけはじめてですね
サイモンとガーファンクルなのです。
RECORD 2
9曲目のその名もずばり「AMERICA」という曲です。
ブライアンが歌詞とこの曲の背景を説明してきたので泣けて泣けて・・
ベトナム戦争後に多くのアメリカ人たちが祖国の辿った道とそして自分たちの「アメリカ人」としてのアイデンティティに疑問を抱いて新しいアメリカ、新しいアメリカ人を探す旅に出るっていうメタフォーでねみたいなことを多分言ってました。なんだろう。なんで私毎日こんなに泣いてるんだろう。でも前までブログを書く気力なんて全く湧いてこなかったのに浮かんでくる言葉をキーボードで打ちまくりたい!と思えるようになったのは、少し元気になってきてるのかなーなどと思っている今日この頃です。暑苦しいブログでした。失礼しました。