サマーソニックにレディオヘッドがヘッドライナーとしてやってくる!という話を先週聞きました。今年の夏は幕張がアツすぎます!(weezer も出るよ。邦楽好きな人はサカナクションもですよ。。)興味のない人にはなんのこっちゃ!ですが、イギリスの世界的に非常に有名なバンド、レディオヘッドが久々日本にやってきます!うわああああいきたいい!チケットとれるかしら。サイト見たら即完売かもとか書いてあったけど・・。
私もブライアンも息子君が生まれてからライブやフェスにほとんど行っていません。私は最近ずいぶん音楽の好みが落ち着いてきているし、家にあるレコードしか聞いていないので、そんなにコンサート等に行けなくてもストレスは感じないのですが、「死ぬまでパンクだぜ!」とか言ってるブライアンは(意外かもですがブライアンはパンクロック命です。でもヒップホップも好きですが。)ショーに行けないのは寂しいことでしょう。たまに車で爆音でパンクをかけてますが現場で体で感じたいよね。
ブライアンが大金を払ってでも一生に一度は見たいと言っているバンドの一つが前述のレディオヘッドです。
私たちは一年弱ロンドンに住んでいたことがありました。渡英前は長野県の寒すぎる、真冬は凍死するかも?寝たらもう起きないかも?と恐怖を感じるような、城址公園のある小さな町に住んでいました。素晴らしい人たちとたくさん知り合うことができて、事実今日までその麗しい関係は続いています。ただね、寒いんですよね。まじで。そして二年極寒の地(大袈裟)に暮らし私たちは未来を考え始めました。
本当に真剣に落ち着く前にもう一度海外に住もう、という話になり、どこに住もうかという話になりました。大事な問題です。数ある候補の中からヨーロッパのメルティングポット、ロンドンに白羽の矢が立ったのです。(私がアメリカは嫌だといったので。もしかしたらブライアン傷ついたかなと今になると思いますが。)
で、決定打はブライアンの「ロンドンに住もう!そしてロンドンにいる間に現地でレディオヘッドを見よう!!」だったのを覚えています。若かった私も、もう小諸市より暖かいところに移住したい!という思いでいいねいいね、ロンドンいいね。と同意しました。小諸市は歴史ロマンあふれる素晴らしい街です。念のため。
その後念願かなってロンドンに住み始めた私たちです。ですがやっとアメリカ英語に慣れてきた私はヨーロッパの人々が話す不可解な英語に大混乱。あと、ロンドンが思ったより暖かくなかったことに結構がっかりしてまいました。(リサーチ不足)昨日も曇り、今日も曇り、明日はお日様に会えるのかな?小諸市は寒いけど晴天率は日本で有数なんだよ!と思ってました。
そして私たちは見たのです。目撃したのは中心街の地下鉄の駅構内に貼られた
[Radiohead LIVE IN TOKYO]
のポスターでした。
ライブ イン トーキョー!!!
うわあああ。場所まちがってるううう。
せっかくロンドンまで来たのに、レディオヘッドトーキョーとか。トーキョーって日本じゃん!なんでなんでレディオヘッドってイギリスのバンドでしょ。ロンドンに来ればトムヨーク(レディオヘッドのボーカル)に会えるはず、と思ってたのに!!!
すごいショックでした。結局私たちがロンドンにいる間レディオヘッドのライブは行われなかったのです。なんという(頭の悪さ!)!!トーキョーの人たちはきっと楽しんだでしょうね。トーキョーとかめっちゃ遠いしここから。飛行機乗らないといけないからね。というわけでふてくされていたわけですよ。ロンドンは歴史ロマンあふれる素晴らしい街です。念のため。
夢破れて帰国して子どもがうまれて意味不明な日々を過ごして幾星霜。音楽を現地で楽しむ胸のときめきを忘れかけていた私たちに届いたこのニュースです。日本にくる!
ブライアンと会う前にレディオヘッドの音楽を聴いたことはあったのですが、当時ぴょんぴょんはねてるような音楽が好きだった私にはちょっと浮遊感が強すぎるというか、ポジティブなエナジーが足りないというか、って感じであまりぐっときませんでした。
が、オーストラリアでブライアンに嫌というほどレディオヘッドを聴かされ続けて洗脳が完了し、立派なもう一人のレディオヘッドファンが誕生したのです。3rdアルバムのOK Computerも聴かされましたが、シドニーに住んでいた時に、割と出たばかりだった2000年リリースのアルバム「KID A」をブライアンは
「初めて聞いたとき良すぎて吐いた」
「他の音楽が聴けなくなって一か月KID Aだけ聴いてた。」
と言い、一曲一曲感想付きでしつこく私に聴かせ続けました。その時から話が長かったんですな。よく英語のわかんない人に辛抱強くそんなに話し続けられると思いますよ。(当時私は本当に英語ができなかったのです。)
そのKID Aについてwikipediaより抜粋。
アルバムの世界的な成功により名声を得たメンバーだったが、評価を得たそれらのサウンドを捨て去り、当時ポップミュージックの分野ではほぼ手つかずのジャンルであったエレクトロニカ・現代音楽などに大きく傾倒。長いスタジオ作業の果てに「商業的自殺」とも言われた4thアルバム『Kid A』(2000年)を発表し、大方の予想を裏切り再度成功を収める。実験的な電子音楽とバンド・サウンドを融合させ、前作『OK Computer』からの劇的な変化を遂げた作品となった。
エレクトロニカという言葉が出てきましたが、私も当時はこの言葉を知らず、この音楽、こんなの聴いたことないけどなんていうジャンルなんだろうと思いました。エレクトロニカと言われるとエレクトロニカとしか言い様のないサウンドだなと思います。
シドニーに住んでいた私たちは同じ職場で働いていましたが、その職場の理事の方が住み込みで働くアシスタント達の休日のプライバシー確保の為に、古くなったアパートの一室を開放して自由に使って良い場所として提供してくれていました。
休みの時はその「アシスタントフラット」と呼ばれるアパートに他のアシスタント達と共に行って過ごしていたのですが、そこでブライアンに「夕方になると夕陽に向かって蝙蝠(コウモリ)の群れが飛んでいくんだよ。それをポーチのソファに座ってレディオヘッドのKID Aを聴きながら過ごすのが至高なんだよ。絶対に体験しなきゃだめだ!」と言われて何度も聴かされました。オレンジに染まった空に蝙蝠が飛んでゆく光景を何度見たでしょうか。
その時に聴いていた曲はKID Aの一曲目 Everything in Its Right Placeという曲です。興味があったら聴いてみてください。エレクトロニカ、の意味が分かると思うし、ドリーミーでぶっ飛んでる感じが当時驚きと衝撃を持って音楽ファンに受け入れられたのがよくわかると思います。
曲はこちら
というわけでまだサマソニに行けるかどうかもわからないのに昂ってしまいこんなブログを書いてしまいました。でも、今度こそトムヨークに会いたい!ブライアンは会ったら「村上春樹と何話してるの?」と質問してみたいと言ってますが変人過ぎてあーそーなんだへーって感じですね。
いやあでも久々に爆音の中踊りまくって叫びまくりたい!と思っているスタッフあかねがお送りいたしました。
皆さまごきげんよう!YEAH!(←××